思索さん

作品no52:僧侶のあるべき姿「親鸞以前」

作品no51:哲学の根本的立場

今回の作品は、「哲学の根本的立場―他力哲学」です。他力、他の力というと、何か他人任せみたいなイメージを持たれるかも知れませんが、そうではなくて、他力というのは、自分一人の力では生きられない、という意味です。それを自覚するために一番手っ取り早いのは、水中に潜ること。自分一人だけの力で生きているならば、水中だろうがどこだろうが関係なしに生きられるのでしょうが、実際には、そうはいきませんよね。人間には酸素が必要ですし、この酸素というのは自分一人だけのものではありません。みんなで共同で使うものです。つまり、私たち ...

作品no53:自己=死の自覚

今回の作品は、「自己=死の自覚」です。死は誰も替わってくれません。誰かが自分の変わりに自分の死を引き受けてくれる、なんてことはありません。自分の死は、絶対に自分のものなのです。その意味で、死というのは、本当の自分そのものなのかも知れません。死んだらその時点で自分は終わるのです。死んでも続くとすれば、それはそもそも自分ではありません。ただの物です。死なないものは始めから生きたものではありません。自己というのは、必ず死ぬのです。

作品No.7

問題1を見る・問題2を見る 問題3 ラストは、「贅沢なデッドスペース」です。これはヒントもいらないような気がします。 答え 要するに、この中庭のことです。中庭のあるお家に憧れる人は、決して少なくないでしょう。しかも、建築家にも中庭が大好きな人が多いですから、いたるところで中庭付きのお家が量産されています。実際、しっかり手入れの行き届いた中庭はかっこいいですし、癒しにもなります。でも、この手入れがなかなか大変ですから、ちょっと油断したら雑草だらけになったり、虫や鳥の巣が作られたり。そんな無残な姿を見ていると ...

作品No.8

問題1を見る・問題3を見る 問題2 二枚目は、「婆やを叩き起こす家」です。婆やの部屋はここです。 ヒントは、配置に問題があります。 答え 問題は、玄関と婆やの部屋が隣接していることにありました。玄関というのは、人が出入りする度に、ドアの開け閉めの音が響きます。これは隣接する部屋でも同様です。しかも婆やというのは、基本的には家族の中で一番お家にいる時間が長いですから、本来一番気を遣ってあげなければいけません。それなのに、お父さんが早朝出勤しては、ドアの音で叩き起こされ、子供が夜遅く、塾やアルバイトから帰って ...

作品no36

この記事は3/3ページです。 1/3ページ・3/3ページ そうであれば、私たちの普段知っているという意味合いも変わってきます。なぜなら、火に触ると熱い、という現象において、火と熱いの因果関係を認めていたのがロック的な経験論であるとすれば、直接経験は因果関係なしに火に触ると熱い、ということそのものを受けとめるわけですから、逆に、火に触ると冷たい、なんてこともありえるわけです。私たちにとっての、火に触ると熱いは、あくまでも憶測や偏見に他なりません。それはヒュームの経験論を借用していえば、習慣に由来するものです ...

作品no50:スキゾとパラノ、私はどちらも好きよ

作品no57:建築家いわく、コミュニティが活性化される場

作品no58

作品No42