思索さん

作品No64:エネルゲイアとデュナミス

今回の作品は「エネルゲイアとデュナミス」です。この絵で表しているのは、アリストテレス版のイデア。イデアといえば、私たちの見ている世界の背後には、本当の世界がある、このような世界観で知られています。たとえば、なぜ人を殺してはいけないのか?というと、人を殺してはいけない、という真理があるからだ、みたいな感じですね。でも、これだとぶっちゃけ答えになっていません。なぜ人を殺してはいけないか?それは人を殺してはいけないからです、っていってるようなものだからです。それに対して、もっと地に足つけて考えよう、というのがア ...

作品No63:学問・芸術の光が地平に昇るにつれ、徳が逃げて行くのが分かります

一分で作品解説 文字起こし 今回の作品は、「学問・芸術の光が地平に昇るにつれ、徳が逃げて行くのが分かります」です。ちょっと長めの作品タイトルですが、要するに、この本に書いてあることを、私なりに解釈して、絵にした、ということです。ルソーの学問芸術論、私が初めて読んだ哲学書でもあります。では、私がどういう風に解釈したかというと、まず、学問・芸術は素晴らしいものである、それは間違いないと前提した上で、しかし悪い面もある。それは、学問・芸術の知識をいっぱい持っているだけで、その人が偉く見えちゃう。つまり、中身が伴 ...

作品№62

この絵が収録されている画集 今回の作品は、「純粋理性批判に基づく色彩論」です。 純粋理性批判 「純粋理性批判」というのは、18世紀にドイツの哲学者イマヌエル・カントによって書かれた本で、超難解+少々長いということでも知られています。僕も何回か挑んでは、挑んだ分だけ挫折しています。ただ難解であると同時に、最重要な本でもあり、度々他の哲学書にも、この純粋理性批判の概要が出できますので、間接的には説明できるかなというところです。 認識主観 一応ざっくり説明しておくと、この本で扱っているテーマの一つが「認識主観」 ...

作品No61

この記事は4/4ページ目です。 1/4ページ・2/4ページ・3/4ページ そしてもう一つ、イデア論で重要な考え方があります。それを絵にしたのが、四枚目の作品なんですけど、「イデア(線分)」です。平たくいうと、認識能力には段階があるということ。先ほどの太陽の話では、私たちは太陽の光によって物を見ることができるというものでしたが、この太陽の光にもレベルがあって、「レベル1の光で見えるもの」「レベル2の光にならないと見えないもの」「レベル3の光にならないと見えないもの」「レベル4の光にならないと見えないもの」が ...

作品№60

この記事は3/4ページ目です。 1/4ページ・2/4ページ・4/4ページ 概念を創造 ここからさらに詳しい解説に入ります。ドゥルーズの本をいくつか読んだことのある方は、すでにご存知かも知れませんが、彼の本の中で、頻繁に出てくる言葉があります。それは「概念を創造する」というもの。概念っていうのは、たとえばここに色鉛筆がありますよね。これを色鉛筆と認識出来ているのは、私の中に色鉛筆という概念が存在するからです。ここに鉛筆があるっていうのも、鉛筆という概念があることによって、鉛筆と認識出来るわけです。仮に鉛筆と ...

作品no57:歴史的生命

一分で作品解説 文字起こし 今回の作品は、「歴史的生命」です。この作品では何を描いているかというと、自分と世界との関係性。まず、自分が世界から与えられた存在である、というのはいうまでもありませんね。自分が生まれてくるためには、両親が必要ですし、両親が生まれてくるためにはその先祖の存在が不可欠です。また、地球という場所が存在していなければ、やっぱり私たちは生まれてくることが出来なかったわけですし、この先、もし地球がなくなっちゃうなんてことがあったら、私たちも終わっちゃいますよね。このように、世界なしに私たち ...

作品no56

今回の作品は、「建築運営論」です。何か運営についてのノウハウ系の本にありそうなタイトルですが、そういった作品ではありません。この作品は、黒川紀章さん等に代表される、メタボリズムを下敷きにした作品です。 メタボリズムとは メタボリズムというのは、日本発の建築運動で、平たく言うと、建物にも新陳代謝が必要だ、ということを唱えた運動です。人間の細胞が日々新しいものに入れ代わるように、建物も日々新しいものに入れ代わる必要がある。たとえば、外壁のペンキが落ちてきたら、新しく塗り直して、ドアの勝手が悪くなってきたら、新 ...

作品no55:物質か観念か

作品no47:知識人

一分で作品解説 文字起こし 今回の作品は、「知識人」です。基本的には、知識が増えると、自分の武器が増えますから、その分選択肢も増えます。ただ、だからといって、知識が増えた分だけ、自由になるかというと、そうとは言いきれません。知識とはいわば、物事を固定して捉える、ということだからです。たとえば、これは鉛筆である、と知るとき、この物体に、鉛筆という枠組みをはめこんでいます。でも実際、物事というのは、時間によって変化していきますから、過去をさかのぼれば、これは木であって、また未来を想像すると、鉛筆は消耗品ですか ...

作品no54:アンビルド