作品№66

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これに対して、さらに考えを進めたのが、二枚目の作品、「経験論を越える直接経験」です。経験論の改良版、というと、少し語弊があるのですが、イメージとしては、そういう感じです。ロックなどに代表される経験論では、人は経験によって観念を形成していくわけですが、その観念を統合するもの、あるいは判断というものを、経験では説明できませんでした。ただ、これは経験論がぶつかった壁というよりも、そもそも二元論が越えられない壁、ともいえます。経験と経験するものとを分けてしまう以上、自分が先か環境が先か、という堂々巡りから抜け出せないんですね。ですので、経験と経験するものとが分かれる以前の状態、直接経験というものを考えたわけです。先ほどの話に続けると、外部経験と内部経験に分かれる前の状態です。例えば、直接経験においては、火と熱いという観念の繋がり自体も経験と考えます。火に触ると熱い、ということを、それ自体として受けとるわけですね。もっというと、火に触ると熱いという現象と、それを感じている私という存在も、一つの直接経験として、一体となって考えられます。直接経験の一部を切り抜くことによって、火に触ると熱いという現象とそれを感じている私がそれぞれに分離されるのです。これはベルクソン等に代表される、二元論自体の乗り越えです。この絵のように、一連の流れがあって、ここから一場面を切り取ることによって、自分と環境、主観と客観というものが形成される、これによって、経験論は真の経験論になるのです。

様式解説

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-令和四年作品