西洋建築-フランス・バロック

2025年3月9日

日本建築-飛鳥・奈良(寺院)

時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...

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2025年3月9日

西洋建築-古代ギリシャ

時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...

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2025年3月9日

日本建築-黄檗宗

時代背景 黄檗宗を輸入 徳川幕府による鎖国の時代、外国との接触は制限されていました。しかし、大陸からの新しい影響がまったくなくなったわけではありません。1654年、明から渡来した隠元によって、禅宗の一派「黄檗宗」が持ち込まれます。そして四代目将軍・徳川家綱の加護を受け、1661年に宇治の万福寺を開きました。 黄檗宗は、禅宗の中でも実践的な哲学を重視しました。宗教的な理論や論理的思考よりも、自己の実践によって真理を理解することを目指します。 黄檗宗は、中国の禅宗である黄檗派と日本の臨済宗や曹洞宗が合流して誕 ...

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2025年3月9日

西洋建築-ロマネスク

背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...

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2025年3月9日

西洋建築-イギリス・ルネサンス

背景 薔薇戦争 1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。 薔薇戦争という名称 ...

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前の様式

時代背景

ブルジョワ階級の台頭

フランスはアンリ4世の治世の下、ようやく政治的にも経済的にも安定した時代を迎えました。そしてこの安定期の中で、新興ブルジョワ階級が台頭してきます。彼らは商業・手工業・金融などで成功を収めた人々であり、血統による身分制度ではなく、自らの実績や成功によって社会的地位を確立しようとしました。

また、アンリ4世は彼らの支持を受けて王位に就いたこともあって、ブルジョワ階級の代表者を重用したり、商工業者や金融業者の権利を保障する政策を進めました。彼らに対して特権や称号を与え、社会的地位を高めることで、彼らとの信頼関係を築いたのです。

アンリ4世は、カトリック教徒以外のプロテスタントやユダヤ教徒にも市民権を与えました。

ブルジョワ階級は、アンリ4世の治世を通じて、政治的・社会的な力を強め、17世紀にはフランス社会を支配するようになりました。彼らの多くは、王室よりも自由な発想と確かな見識を持っており、新しいものを作り上げようと燃える若い芸術家たちの才能を育てたのです。

絶対王政の誕生

王権に対して一定の経済的影響力を誇ったブルジョワ階級でしたが、それは一方で王室にとっては脅威でもありました。特に後代のルイ14世はこの影響力を恐れ、ブルジョワ階級に対する政治的圧迫を行います。

ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、絶対王政の象徴となった人物です。彼は生涯を通じて王権の中心化と強化に努め、フランスを絶対主義国家に変えました。

同時に、ルイ14世は貴族に対して厳しい法律を制定し、貴族の権力や特権を制限、貴族の支配力を弱めることにも努めました。また、王権神授説などによって王権の強化を図り、中央集権的な統治体制を確立しました。

②王権神授説:ヨーロッパの中世から近世にかけて、王権の正当性を説明するために用いられた手法。この説によると、国王の役割は、神から王位を授かり、神の代理人として人々を統治することでした。

特徴

絶対主義の時代

この時代のヨーロッパは、絶対主義の時代とも定義付けられ、絶対君主はそれまでになかった強大な権力と共に、ヨーロッパにおける文化的主導権を手中に収めて行きました。

中でも、周辺諸国に先駆けて中央集権化を推し進めたフランスは、イタリア・バロックを受容しつつも、自国独自のバロック様式を確立して行ったのです。

古典主義を尊重

フランス・バロックの根幹は、古典主義の理知的な解釈によって貫かれています。

表現・特徴

イタリアにおけるバロックは、カトリックの反宗教改革を反映しているため、変則的で派手な表現が主流でした。それに対しフランスのバロックは、見識ある新興ブルジョワ階級によって展開されたため、劇的な視覚効果は重視されず、抑制の効いた古典主義として洗練されて行きます。

フランスの伝統様式とバロックとの融合

リュクサンブール宮|サロモン・ド・ブロス

両隅と中央が張り出すパヴィリオン形式からは、フランスの伝統様式が伺える一方、オーダーの扱いや彫刻的な構成からは、バロック的な傾向が伺えます。

メゾン城|フランソワ・マンサール

出典:同上

長方形の形をした主屋の両端に、パヴィリオンを張り出させ、各煉には勾配の強い中世以来のフランス屋根が架けられています。また、抑制の効いた円柱と水平の影を落とすコーニスの帯が、風格ある姿を見せています。

3層構成のオーダー

出典:4travelより引用

一方で、中央部のペディメントを戴いた3層構成のオーダーによって、バロック的な流動感を表現してもいます。

フランス・バロックの最高傑作

バロックを代表する建築家には、もう一人、ルイ・ル・ヴォーがいます。彼は室内装飾家シャルル・ル・ブランと造園家アンドレ・ル・ノートルと手を組み、ヴェルサイユ宮殿を予告する最高傑作、ヴォー・ル・ヴィコント城を建設しました。

ヴォー・ル・ヴィコント城|ルイ・ル・ヴォー|1657

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四隅のパヴィリオンと中央広間上の大ドームが織り成す全体構成の斬新さと、外壁を飾る大オーダーが、この建物に躍動感溢れる力強さを与えています。ここに、ル・ブランによる装飾・ノートルによる庭園が組み合わさリ、フランスを代表する建築の一つとなりました。

嫉妬するルイ14世

この傑作の城主は、ルイ14世の大蔵大臣であったニコラ・フーケですが、この城の出来栄えに嫉妬したのは、彼の使えるルイ14世でした。彼は、ヴォー・ル・ヴィコント城の建設に関わった3人をそのまま登用し、ヴェルサイユ宮殿を完成させます。

ヴェルサイユ宮殿|ルイ・ル・ヴォー

ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世の絶対的権威を世に示すための舞台装置であり、バロック的な演劇性を思う存分に発揮しました。しかし、それでもなお、イタリア的な独創性に向かうことはなく、秩序ある古典主義を留めています。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年3月9日

西洋絵画−立体派〈キュビズム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...

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2025年3月9日

西洋絵画−オランダ・バロック

舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...

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2025年3月9日

西洋絵画−フランス・ロココ

舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...

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2025年3月9日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年3月9日

西洋絵画−印象派

舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...

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-西洋建築史