西洋建築-イギリス・ルネサンス

2025年4月24日

日本建築-飛鳥・奈良(寺院)

時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...

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2025年4月24日

西洋建築-ドイツ工作連盟

背景 アーツ・アンド・クラフツの影響 1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動 アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ド ...

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2025年4月24日

西洋建築-イギリス・新古典主義

フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...

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2025年4月24日

日本建築-外国人居留地

時代背景 日米和親条約 1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。 アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。 これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この ...

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2025年4月24日

日本建築-室町

時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...

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前の様式

背景

薔薇戦争

1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。

薔薇戦争という名称は、19世紀の歴史家によって付けられた呼び名です。名前の由来には複数の諸説がありますが、基本的には、戦争の激しさ・戦争の長期化を表現する言葉として知られています。

イギリス宗教改革が勃発

王位に着いたヘンリー7世は、貴族層の権力を抑え、王権を強化する政策を進めました。また、彼は貿易の発展に力を注ぎ、大航海時代の基盤を築きます。その後、ヘンリー8世が即位すると、1534年に「王の首長法」を発布して、イギリス国王をイギリス国教会の首長と定めました。これによってイギリスはローマ教皇からの独立を正当化したのです。

事の発端は、ローマ教皇がヘンリー8世の離婚を認めなかったことに対する反発心であったと言われています。

イギリス国教会の最高指導者となったヘンリー8世は、教会の権限を大幅に強化し、教会の土地や富を接収することができるようになりました。

テューダー王朝の全盛期はエリザベス1世の時代です。彼女の治世下では、イギリスは大西洋を越えて新しい世界への進出を図り、イギリスの黄金時代と呼ばれる文化的な発展を遂げました。

特徴

宗教建築から世俗建築へ

イギリスがローマ教皇からの独立を果たしたことにより、修道院は解体されて宗教建築は極めて減少しました。そのため、この時代の主役を担ったのは住宅・邸館といった世俗建築です。

ゴシックとルネサンスの融合

当時のイギリスが大きく影響を受けたのはルネサンスです。16世紀、イギリスに根付いていたゴシック建築に、ルネサンス様式を取り込む形で受容されました。ただ、イギリスは地理的な条件や時間的な遅れもあって、イタリアから直接ルネサンスが輸入されたのではなく、フランスなどの周辺諸国を介して伝えられました。

フランス・ルネサンスの解説記事》建築-フランス・ルネサンス

表現・造形

イギリス・ルネサンスが花開いたのは、エリザベス1世の治世です。彼女の支援もあり、ゴシックからルネサンスへの転換期を迎えました。また、エリザベス1世の後を継いだジェームズ1世の頃には、本場イタリアのルネサンスが輸入されました。

フランス・ルネサンスの解説記事》建築-イタリア・ルネサンス

左右対称・縦長の窓

ロングリート|ロバート・スミッソン|1568

出典:travelbookより引用

主にマニエリスム建築の影響を受けており、ルネサンスの規範から少し外れたオーダーが使われました。

マニエリスムの解説記事》建築-マニエリスム

本格的なイタリア・ルネサンスを導入したのは、建築家イニゴー・ジョーンズです。ジョーンズは、二度に渡るイタリア旅行で実際にルネサンス建築を見聞し、理解を深めました。

簡素な装飾

クイーンズ・ハウス|イニゴー・ジョーンズ|1607

古典建築由来の柱廊・アーチ・ドーム

ホワイトホール宮殿|イニゴー・ジョーンズ

古代復興の精確さは、新古典主義的な志向をも見せています。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年4月24日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年4月24日

西洋絵画−印象派

舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...

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2025年4月24日

西洋絵画−後期印象派

一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...

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2025年4月24日

西洋絵画−フランス・新古典主義絵画

舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...

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2025年4月24日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

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-西洋建築史