2025年3月9日
西洋建築-古代ローマ
時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...
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2025年3月9日
西洋建築-ゴシック
背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...
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2025年3月9日
日本建築-縄文・弥生
時代背景 移動生活 縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。 農耕によって定住が可能に 弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。 貧富の差が生まれる 農耕文化 ...
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2025年3月9日
日本建築-外国人居留地
時代背景 日米和親条約 1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。 アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。 これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この ...
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2025年3月9日
日本建築-浄土教
時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...
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前の様式
時代背景
小さな村落から始まったローマ市
紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。
ヨーロッパ全域へ領土を拡大
しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。
エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。
異国文化を吸収
領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文化など、それまで自国にはなかった文化の摂取を促しました。
とりわけ、ヘレニズム期*の影響が大きく、ここから古代ローマ帝国の基盤が形成されていったといっても過言ではありません。
ヘレニズム期:紀元前336年に即位したアレクサンダー大王は、ギリシャ本土を出発し、アジア、エジプト、ペルシアなどの広大な領域を征服しました。この征服により、東方と西方の文化が接触し、ヘレニズム文化が生まれました。
古典主義の確立
ローマ人は、ヘレニズム文化から学んだものを彼らなりに消化し、ここから西洋美術の根幹となる古典主義を確立していったのです。
特徴
古代ローマ文化の性格
古代ローマ文化の担い手であるラテン人は、理論的であるよりも実践的な民族でした。
そのため、建築造形の源を古代ギリシャに求めながらも、それは隅々まで繊細に研究されることはなく、むしろ全体的な秩序を大まかに印象付けるのでした。
古代ローマの持つ多様性
また約10世紀もの間、ヨーロッパのほぼ全域という広大な範囲を時間的にも地理的にも支配していた古代ローマ帝国には、多様なものを併存させていく寛容さや多様性を統合する構成力を備えている必要がありました。
造形・表現
アーチ構法とオーダーの融合
コロッセウム
アーチ構法とオーダーを融合するという展望は、ヘレニズム期からの切望の一つでした。
アーチ構法
ティトゥスの凱旋門
アーチ構法とは、石材を積み重ねて、曲線状のアーチを作る構法です。水平方向の荷重を垂直方向へと分散することができ、大きな力に対しても強度を維持します。これによって、大きな空間を作り出すことができるようになりました。
オーダー
パルテノン神殿
オーダーとは、比例に基づいて柱と梁を秩序的に構成することで、調和的な美を形成する手法です。
ヴォールト構法
この時代、帝国や皇帝の権威を誇示する大規模な建造物が各地で建てられました。その際に用いられたのがヴォールト構法です。
パンテオン
ヴォールト構法とは、石やレンガ、コンクリートなどの素材を曲面状に積み上げていき、強度や美観を持ったアーチやドームのような形状を作り出す構法です。大きな空間を作り出すために用いられました。
中心を象徴する、球体表現
また球体表現には、ローマ世界の中心としての象徴という意味合いもありました。
古典主義
西洋建築の礎である古典主義は、この時代に完成されました。アーチ・ドーム・左右対称性・正面の重視・直線的なデザインなどが挙げられます。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年3月9日
2025年3月9日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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2025年3月9日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2025年3月9日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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2025年3月9日
西洋絵画−新印象主義
舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...
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