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そうであれば、私たちの普段知っているという意味合いも変わってきます。なぜなら、火に触ると熱い、という現象において、火と熱いの因果関係を認めていたのがロック的な経験論であるとすれば、直接経験は因果関係なしに火に触ると熱い、ということそのものを受けとめるわけですから、逆に、火に触ると冷たい、なんてこともありえるわけです。私たちにとっての、火に触ると熱いは、あくまでも憶測や偏見に他なりません。それはヒュームの経験論を借用していえば、習慣に由来するものです。100回触って熱かったとしても、101回目には冷たいかも知れない。真の経験論では、その可能性を否定できません。三枚目の作品で描いているのは、まさにそのような世界観です。私たちは普段、前・後ろの因果関係を予測していますが、実際にはこの絵のように、すべてが一つの場面なのではないか?つまり、一つの場面が分解されて、再構築される、これが経験なのではないか?ということ。いうなれば、これは先験的経験論です。例えば、「abababab」をabの反復と考えるのが経験論であるとすれば、「abababababcab」という風に、そこに差異を発見する、そしてその差異こそは、再構築の証拠であり、これが創造であり、自由意志である、これが真の経験論なのです。もちろん、これは私が勝手にいってるだけなので、その点はご了承下さい。