お知らせ
個展情報
- 終了:R6.6月兵庫県美方郡香美町「森ちゃんの隠れ家」
- 終了:R5.6.7−18愛知県高浜市「画廊アートフロア」
メディア情報
- R5.6.14掲載「中日新聞」個展の様子が取り上げられました
- R5.6.9.18:00〜放映「KATCH TIME 30」個展の様子が取り上げられました

真宗大谷派僧侶
二級建築士(登録番号57877号)
卒論『純粋芸術批判』
大阪府出身 愛知県在住


今思えば、圧倒的に文字数が少なかったな、、、と反省
年表「作家編」
絵の世界から建築の世界へ
- 特別絵が上手かったわけではないが、何か絵に関係のある仕事がしたいと思い悩んでいた中学三年の夏、美術の先生から建築家の道をすすめられる
- 建築の専門学校に入学する
建築の世界を通じて絵の世界に戻ってくる
- 建築論の授業にて建築家ザハ・ハディドを知る
- 彼女の建築に惹かれると同時に、彼女のデザインがピカソやブラックなどのキュビズムからきていると知り美術史に関心を持つ
- その他ロシア構成主義や表現主義、バウハウスや近代ウィーンなど絵画と建築との密接な関係性を知るにつれ、逆輸入する形で美術史を勉強するようになる
模写時代が始まる
- 最初は解説本を読んでいるだけだったが、本質を掴むためには実際に描く必要があると考え古今東西の絵を模写し始める
- 美術史の知識を身につけると同時に絵を描く楽しさを思い出していった
純粋芸術論の誕生
- そんな時に神谷美恵子の「生きがいについて」という本を読み、そこに出てくるハンセン病患者の話を通じて、絵を描くことそのものが人生の生きがいになるという着想を得る
- さらに柳宗悦の「手仕事の日本」やハリソンの「古代芸術と祭式」などから理論を援用し『純粋芸術』という体系化を図った
- その最初の集大成となったのが私の卒業論文『純粋芸術批判』である
純粋芸術家としての活動がスタート
- 自らの純粋芸術論に従い、純粋芸術家を自称するようになる
- 当初は自分だけで楽しむ絵を描いていたが、次第に自分の描いた絵を使って思想やメッセージなどを発信できないだろうか?と考えるようになる
建築画家の誕生
- その時に頭に浮かんだのが建築家クロード・ニコラ・ルドゥーであった
- ルドゥーは絵を介して自らの建築思想を伝えた人物である
- そこに着想を得て、建築画家としての活動が始まった
幅が広がる
- 当初はテーマを建築にしぼって発表していたものの、次第に哲学や宗教なども扱うようになる
- 絵よりも漫画の方が伝わりやすいと実感し、漫画の投稿を始める
年表「建築編」
学生時代
- 建築の専門学校に通い在学中に二級建築士を取得※当時は学校卒業後でないと一級建築士を受験することが出来なかった
- 卒業論文では建築家クロード・ニコラ・ルドゥーを題材に選び、それ以降ルドゥーの影響を受ける
ルドゥーはどんな人
- ルドゥーは「アンビルドの建築家」「ユートピア思想家」とも称され、名前の通り自らの真価を思想上で発揮した
- ルドゥーが実際に設計した建物は極わずかであるが、それにも関わらずアンビルドの建築家として後世にまで名が記憶されている
ルドゥーの業績
- ルドゥーの業績が今に伝えられているのは彼の遺した一冊の書物「建築論」による(彼はこの書物に自らの建築思想を託した)
- 特に有名なのは「ショーの理想都市」である
- 彼は自らが建築家兼建物の管理者として製塩工場をつくり、その周りに住宅等を配置、パノプティコンシステムを援用して理想都市の計画案を作り上げた
- 建てることしか考えていない建築家たちとは違い、彼は建築を運営しようとしていたのである
ルドゥーから受けた影響
- 私の建築活動はすべてルドゥーから来ていると考えてよい
- 私が農業を始めるのはルドゥー自身が農業による自給自足の生活を計画案に取り入れていたから
- 私の宿坊計画の立案はルドゥーの製塩工場に代わるもの
- アンビルトの道を選んだことも私なりにルドゥーの思想を継いだ結果である
- またルドゥーは画家(厳密には版画家)としても活動した(自らの建築思想を絵で表現したのである)
- 私の画家としての活動もここに由来している
年表「僧侶編」
信仰心の芽生え
- 一時期宇宙関連の本にハマる(ホーキング博士の「宇宙を語る」青木薫の「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」サイモン・シンの「宇宙創世」など)
- 一通りの本を読み終えた後知識の限界を知る(たとえば「宇宙はビッグバンから始まった」と知った気になっているが、実は仮説に過ぎないということ。「ビッグバンがあったことにしておこう」「その説を信じよう」という状態、これを信仰といわずして何というか
宗教建築への憧景
- 建築の専門学校に通っていた私は、西洋建築史の授業でキリスト教建築に触れる
- その時はただ知識として学んだに過ぎなかったが、明治村を訪れた際に初めて教会建築を体感、その魅力に取り憑かれる(ステンドグラスを通して差し込む光やオルガンから流れる音楽が演出する神聖な空間、ここに芸術の最高頂を見た)
僧侶になる決意
- 教会建築を建てると決意する
- この時すでに建築運営論の基礎が出来上がっていたため、自身が僧侶になる必要があると察した
仏教との出会い
- ただキリスト教に入信することは最善ではなかった(文化圏の壁を乗り越えるよりも、日本に生まれた自分にしか出来ない道をたどることが最善であるように思えたから)
- そこで鈴木大拙の宗教的霊生を介して親鸞に出会う
親鸞とはどんな人
- 親鸞は経典の研究に励むよりも日常の生活を重視した(自分の面倒も見れない人間が仏教の本当の教えに出会えるはずはない)
- 生きることの大変さを知ってから僧侶の道は始まる、だから親鸞は農業や漁業などの自給自足の生活にこそ仏教の本当の教えがあると考えた
親鸞から受けた影響
- 親鸞の考えに共感した私は浄土真宗の僧侶になる
- 農業を通じて僧侶としての道を歩む