簡単に説明すると・・・
縁起の理法は、釈尊が悟った「この世の真理」です。では、釈尊が求めていた真理とは、そもそも何だったのか?それは、苦しみからの解放。もっというなら、「死の恐怖」を克服することでした。
その結果、たどり着いたのが、「実体はない」という考え。「すべては関係性である」と考えたのです。これは言い換えれば、「執着心を手放す」ともいえます。"自分が"死ぬ、この自分という部分への執着が、死への恐怖を招いているからです。そうではなくて、自分には、自分が生まれてくる前があって、自分が死んだ後があるということ。
こんな言い方をすると、とても神秘的な話に聞こえるかも知れませんが、でも、実際そうですよね。何もない状態から、突然自分が生まれてきたなんてことはありません。自分が生まれてくるためには、自分を生んでくれる親が必要ですし、地球や太陽も必要です。自分が死んだ後だって、自分が死んだから世界も終わるなんてことはありません。次の世代に受け継がれて行きます。このように、自分が"という狭い視野に捕らわれるのではなく、もっと広い視点から自分の存在を捉えよう、これが縁起の理法なのです。
具体的な説明
もう少し仏教的な話をすると、「此縁性果」という言葉があります。これは、「すべての事物には必ず原因と縁がある」ということです。
ここで原因・縁というのは、原因=「直接的な原因」、縁=「間接的な原因」と考えて下さい。
たとえば、
(事物)AさんがBさんを叩いた
とします。もちろん、何もなければそんなことはしませんから、何か理由があるのでしょう。もしかしたら、
(原因)BさんがAさんに、嫌なことを言った
のかも知れません。あるいは、
(原因)Bさんがボケてきたから、Aさんはつっこんだ
なんてこともあるでしょう。これが、叩くという結果に対する、原因です。そして、この場合の縁というのは、
(縁)Bさんは、叩くと笑いが起きるのを、テレビで見ていたから、
(縁)そして、好きな人の前で、爆笑をかっさらいたかった
というように、直接的ではないけれど、この結果に影響を与えたものです。
そして、もう一つ、大事なことは、「すべての事物は必ず他の事物の原因と縁になる」ということです。たとえば、
(事物)私がコンビニで万引きをした
としましょう。この原因としては、
(原因)私がお金で困っていた
というようなことが考えられます。お金に困っていたから、私はコンビニで万引きをしたわけですね。ここまでは、先ほどのお話と同じですが、もう少し踏み込んで考えると、私の万引きという行為によって、
(結果)お店が赤字になる
なんてことも考えられます。場合によっては、お店を閉めることにもなりかねません。また、私の万引きを見ていた小さな子供が、
(結果)私の真似をする
かも知れません。このように、自分の行為には原因があると同時に、他の原因にもなるのです。
まとめ:思索さんが考えたこと

お互い様ということ
私たちは、ミスをした時に、誰々が、、、と人のせいにしてしまう時があります。口には出さなくても、そう思ってしまうときがあります。もちろん、こう考えること自体は間違いではないでしょう。縁起の理法で学んだように、そこには必ず原因となるものがあるからです。でも、それは自分だけじゃなくて、他の人にとっても同じです。自分の行いのせいで、誰かが迷惑を被っていることもあるはずです。これが、すべての事物には原因と縁があって、すべての事物は他の事物の原因と縁になる、ということです。ようするに、お互い様というやつですね。
今回は、大まかな全体像をお伝えしましたが、もう少し踏み込みたい方は、以下の記事をお読み下さい。