有支縁起

有支縁起とは、平たくいえば、縁起の理法を理論化したものです。縁起の理法については、以下の記事で解説《縁起の理法》していますが、少しおさらいしておくと、此縁性果、すなわち、一切の存在は、互いに関係し合っているということです。すべての事物には、原因と縁があって、またすべての事物は、他の事物の原因と結果になるということ。

(事物)私が万引きをした

(原因)お金がなかった。

(事物)私が万引きをした

(結果)お店が赤字になった。

簡単な例を挙げて、物事の関係性を解説しましたが、これを理論化しようという試みが、有支縁起です。他にも、四諦八正道や四法印など、縁起の理法を理論化したものはいくつかありますので、合わせてお読み下さい。

有支縁起には、いくつか種類があります。代表的なものは、「九支縁起」・「十支縁起」・「十二支縁起」ですが、それぞれの違いについては、後ほど解説します。

有支縁起の目的

まず、有支縁起が何を目的にしているのかというと、苦しみからの解放です。そのため、苦しみの原因を探るところから始まります。なぜ、私たちは苦しむのでしょうか?

老死

それは死ぬこと、老いることへの恐怖心から始まります。では、なぜ私たちは、老いたり死んだりするのでしょうか?

それは、私たちがこの世に生まれてきたからです。生まれてきたから、死ななければならないのです。では、私たちの生は、どこから生じたのでしょうか?結論を先にお伝えすると、有です。

これについては、色々な専門用語がありますが、かえって分かりにくくなるので、私なりに説明させていただきます。有は、無の反対と捉えて下さい。何もないところからは、何も生まれませんよね。自分が生まれてくるためには、まず生んでくれる両親が必要ですし、そのまた両親も必要です。また、地球や太陽、宇宙がなければ、生まれてくることはできません。このように、「何かあるもの」から、私たちの生が生まれた、と考えて下さい。

では、有はどのように生まれたのか?それは「取」であると、仏教では考えられています。これも、専門用語を用いて解説しようとすると、少々難しくなるので、私なりに説明させて頂くと、それは、私たちの区別や判断です。「何かある」という状態から、これは太陽、これは地球、この人はお父さん、この人はお母さん、というふうに、概念を持って分類していく、これが取です。

愛着

では、なぜ取が生じるのか?それは愛着によるとされています。この人は自分に優しくしてくれるから味方、この人は自分に害を与えるから敵、これは食べてもよいもの、これはしてはいけないこと、というように。

ここまでの流れを、もっと具体的な例を挙げながらおさらいしておきましょう。

金髪の人にカツアゲされるという事件が三日連続で起きた

(愛着)だから金髪の人は嫌い

(取)「金髪=ヤンキー」という概念が生じる

では、金髪の人にカツアゲされるという事件が三日連続で起きてから、金髪の人が嫌い、となるまでに、一体どのようなことがあったのか?それが次の項目、渇愛です。

渇愛

ここでは、渇愛=根に持つというふうに考えて下さい。金髪の人=カツアゲしてくるor復讐したい相手、というふうに、固執してしまっている状態です。

では、なぜこのような固執が生まれるのか?それは受によります。受とは、苦・楽などを感じることです。先ほどの例に戻りましょう。カツアゲされれば、当然嫌な思いをしますし、辛い、という感情になります。この辛いという感情が起因となって、嫌いという感情が生まれるわけです。

では、辛いという感情はどのように生じるのでしょうか?それは感覚器官を通じて得られる情報です。五感とか六感といわれるものですね。

眼「いかつかった」耳「どすの聞いた声」鼻「タバコの匂いがした」舌「血の味がした」身「殴られて痛かった」意「怖かった」

これらのことを、触といいます。

六処

そして、上記の感情がどこから起こるかというと、当然、眼・耳・鼻・舌・身体・意識です。仏教用語に変換すると、六処です。

名色

そして、六処を通じて感情を得ているのは、私という存在。厳密にいうと、(名)精神と(色)肉体です。

この二つを合わせて名色と呼びますが、名と色はどのように生じるか、それは名と色を一つに統一する存在=私という認識です。これを識といいます。

ここが重要

・では、識はどのように生じるか?ここが一番重要なポイントですが、実は、名色に戻ります。名色によって識が生まれ、識によって名色が生まれる、つまり、この二つは相依相待の関係にあるのです。

・これが何を意味するのかというと、有支縁起には、ゴールがないということです。ゴールがないということは、この世界には固定された実体のようなものはないということ。つまり、関係性だけがあるのです。

・だから、何か一つのことをすれば、苦しみから抜け出せるのではなく、この関係性を丁寧に辿っていくことで、苦しみから抜けだそう、これが有支縁起の目的なのです。

ちなみに、今の段階で、老死→識までの十項目挙げてきましたが、十項目目で一応完結するのが、十支縁起です。九支縁起は、この十項目から六処を省いて、九項目としたもの。

十支縁起はこれで終了

苦しみの原因を探っていくと、そこには識というものがあることが分かった。逆にいえば、識を滅すれば、苦しみも滅するのではないか、噛み砕くと、苦しみの原因は、私たちの認識の仕方の方にあった、ということです。もっというと、苦しみの原因は、外ではなく、自分の内面にあったということです。

十二支縁起の場合

十二支縁起は、さらに二項目増やしたものです。つまり、識からさらに探求を進めたものです。

識の次には何があるか?それは行です。行とは、私の行動。つまり、ここでいいたいことは、苦しみの原因は、もっと具体的にいうと、自分の行動にあったのだ、ということです。たとえば、好きな人にいたずらして、嫌われる。みたいなことですね。

無明

そして、十二支縁起では、もう一段階進めます。それが無明です。無明とは、無知であること、つまり、自分の本当の姿が見えていない、分かっていない状態です。たとえば、家族・恋人に冷たく当たってしまったり、見た目で相手を判断してしまったり。このようなことは、本当の自分が分かっていないからこそしてしまう、愚かな行為です。これが、苦しみの根本原因であったわけですね。

ちなみに、無明の原因は、触から生じるとされています。ここでも、相依相待の関係があるわけです。つまり、ゴールがないということには変わりありません。

眼「キモかった」耳「やかましかった」鼻「臭かった」舌「まずかった」身体・意識

このように、汚れた心の働きは、触から生じるわけです。

結論

だから、本当の自分に目覚めよう、それによって、苦しむから脱する、のです。じゃあ、本当の自分とは何なのか?今まで見てきた通り、関係性です。関係によってしか、自分は存在しえない、このことに気が付くのが、悟りなのです。

-縁起の理法