西洋建築-イギリス・ルネサンス

2025年4月24日

西洋建築-ゴシック

背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...

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2025年4月24日

日本建築-大仏様

時代背景 力をつける寺社 この時代の寺社は、各地に荘園*を持つようになり、財政的にも潤っていました。それに伴い、政治的な力も強めていきます。 荘園:領主が自らの所有する土地を農民や奴隷などに貸し出して、彼らからの税を収める経営形態。土地を借りる農民や奴隷は、作物や畜産物などの収穫物や一定の労役を支払うことによって生計を立てていました。 僧兵による武装化 寺社が権力を握る中、自分たちの力で社会を切り開き、大和国の実権を握ったのは平清盛でした。もちろん、もともと大和国での特権を保持していた南都寺院からすれば、 ...

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2025年4月24日

西洋建築-初期キリスト

背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...

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2025年4月24日

西洋建築-イタリア・ルネサンス

前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...

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2025年4月24日

日本建築-飛鳥・奈良(神社)

時代背景 天皇中心の国作り 645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。 大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革 その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。 この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教で ...

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前の様式

背景

薔薇戦争

1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。

薔薇戦争という名称は、19世紀の歴史家によって付けられた呼び名です。名前の由来には複数の諸説がありますが、基本的には、戦争の激しさ・戦争の長期化を表現する言葉として知られています。

イギリス宗教改革が勃発

王位に着いたヘンリー7世は、貴族層の権力を抑え、王権を強化する政策を進めました。また、彼は貿易の発展に力を注ぎ、大航海時代の基盤を築きます。その後、ヘンリー8世が即位すると、1534年に「王の首長法」を発布して、イギリス国王をイギリス国教会の首長と定めました。これによってイギリスはローマ教皇からの独立を正当化したのです。

事の発端は、ローマ教皇がヘンリー8世の離婚を認めなかったことに対する反発心であったと言われています。

イギリス国教会の最高指導者となったヘンリー8世は、教会の権限を大幅に強化し、教会の土地や富を接収することができるようになりました。

テューダー王朝の全盛期はエリザベス1世の時代です。彼女の治世下では、イギリスは大西洋を越えて新しい世界への進出を図り、イギリスの黄金時代と呼ばれる文化的な発展を遂げました。

特徴

宗教建築から世俗建築へ

イギリスがローマ教皇からの独立を果たしたことにより、修道院は解体されて宗教建築は極めて減少しました。そのため、この時代の主役を担ったのは住宅・邸館といった世俗建築です。

ゴシックとルネサンスの融合

当時のイギリスが大きく影響を受けたのはルネサンスです。16世紀、イギリスに根付いていたゴシック建築に、ルネサンス様式を取り込む形で受容されました。ただ、イギリスは地理的な条件や時間的な遅れもあって、イタリアから直接ルネサンスが輸入されたのではなく、フランスなどの周辺諸国を介して伝えられました。

フランス・ルネサンスの解説記事》建築-フランス・ルネサンス

表現・造形

イギリス・ルネサンスが花開いたのは、エリザベス1世の治世です。彼女の支援もあり、ゴシックからルネサンスへの転換期を迎えました。また、エリザベス1世の後を継いだジェームズ1世の頃には、本場イタリアのルネサンスが輸入されました。

フランス・ルネサンスの解説記事》建築-イタリア・ルネサンス

左右対称・縦長の窓

ロングリート|ロバート・スミッソン|1568

出典:travelbookより引用

主にマニエリスム建築の影響を受けており、ルネサンスの規範から少し外れたオーダーが使われました。

マニエリスムの解説記事》建築-マニエリスム

本格的なイタリア・ルネサンスを導入したのは、建築家イニゴー・ジョーンズです。ジョーンズは、二度に渡るイタリア旅行で実際にルネサンス建築を見聞し、理解を深めました。

簡素な装飾

クイーンズ・ハウス|イニゴー・ジョーンズ|1607

古典建築由来の柱廊・アーチ・ドーム

ホワイトホール宮殿|イニゴー・ジョーンズ

古代復興の精確さは、新古典主義的な志向をも見せています。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年4月24日

西洋絵画−フランス・ロココ

舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...

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2025年4月24日

西洋絵画−印象派

舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...

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2025年4月24日

西洋絵画−クールベ=マネ

舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...

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2025年4月24日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年4月24日

西洋絵画−ロマン主義

舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...

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-西洋建築史