作品№37

1分で作品解説

今回の作品は、『ニヒリズムの本当の意味』です。

ニヒリズムは虚無主義?

本当の、っていうくらいですから、当然本当じゃないニヒリズムもあります。しかも、本当じゃない方が、一般的に知られているような気もします。たとえば、ニヒリズムは「虚無主義」なんて訳されるので、虚無=無意味、人生に意味はない、っていう主張だと思われたりします。生きてることに意味はない、じゃあ生きるのをやめよう、みたいな、、、

こんなイメージがあるものですから、ニヒリズムといえばネガティブな思想、と食わず嫌いされちゃうこともあるわけです。もちろん、捉え方は人それぞれあるわけですから、こういったニヒリズムを偽物呼ばわりしてしまうのは、少々出過ぎた真似かも知れませんが、ただ今後ニヒリズム=ネガティブな思想という偏見を持たれないようにするためにも、今回はあえて、本当のニヒリズム、というテーマで話を進めようと思います。

強制の拒否

まず、結論をいうと、本来ニヒリズムで使われる「無意味」というのは、たとえば、頑張っている人に対して、そんなことしても意味がないよ、と嘲笑するようなニュアンスではありません。あくまでも、意味を強制されない、というニュアンスで捉えて下さい。たとえば、人は結婚をして子供を生まなければならない、男は筋肉ムキムキでなければならない、女は料理をしなければならない、みたいに、周りから考えを押し付けられた時に、そんなこと勝手に決めつけないで下さい、そもそも、誰がそういう風に決めたのですか?と、相手に反撃するようなイメージ。私は私なんです、と自分の意思を貫くような姿勢、これを後押しするのが、本当のニヒリズムなのです。

仮に、人間とは、子孫を繁栄させるために存在する生物である、という風に意味付けされちゃうと、じゃあ、子供を産まなかった人は人間じゃないのか?とか、子供を産めないあの人には、生きてる価値がないから迫害してもいい、なんてことにもなりかねません。こういった危ない正義感に立ち向かうのがニヒリズム。だから、頑張っている人を小馬鹿にしたり、自殺を肯定したりすることをニヒリズムと捉えるのは、誤りである、とあえて私は結論付けます。

そもそも、ニヒリズムにそのようなイメージを持たれてしまうのは、虚無主義という翻訳にあると思います。虚無じゃなくて、創造無にすればいいんじゃないかなって、、、個人的には思っちゃいます。意味が無いから虚しくなるんじゃなくて、意味を強制されないからこそ創造がある。

創造無

たとえば、これが人生の答えだ、っていうものがあると、私たちはそこを目指さなければならなくなります。男とはこういうものだ、女とはこういうものだ、とあらかじめ決められていたなら、私たちはすでに決定されているレールの上を歩むことしか出来ません。でも、新しいものが生まれる時というのは、このレールから脱線した時ですよね。そして、この脱線を可能にするのが、「無」私の言葉でいうと、「創造無」です。

ここまでの話を踏まえると、この絵が何を現しているのかも、分かるんじゃないでしょうか?

まず、この背景は虚無を表しています。虚無はどのようにやって来るか、有名なのは、ニーチェの「神は死んだ」という言葉。突然神といわれても、何のこっちゃイメージが沸かないと思いますので、とりあえず、既存の価値観が崩れた状態、と思って下さい。

たとえば、「お金持ちになれば幸せになれる」、そう信じてこれまで頑張ってきた人が、いざお金持ちになった時に、なんか思っていたのと違うな。良い家に住んで、良い車に乗って、美味しい物が食べ放題。でも、なぜだか幸せとは思えない。そんな時に、お金はないけど楽しそうに暮らしている人を見ると、自分が今まで信じてきたものは何だったのか?ただの幻想だったのではないか?そう気づいて、虚しくなっている状態、つまり、今まで見えていた世界が崩れ去って、無になってしまった、という状況です。

で、この人は、その虚無の中で、希望を見出だそうとしています。

この光が、希望の象徴ですね。しかもこの人は、光が降り注ぐのを待っているんじゃなくて、自分から闇を切り開こうとしています。先ほどからお話ししているように、ニヒリズムっていうと、ネガティブな人を思い浮かべがちですけど、この人は決してそうじゃない。自分の足で立ち上がる、何も無いところから、新しいものを作り出す、これが本当のニヒリズムの姿勢なのです。

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